淋しいクリスマス [お菓子]

先週はクリスマスウィークということで、街中は煌びやかなイルミネーションに彩られ、道行く人を見ていると、やたらとカップルばかりが目につく(被害妄想でしょうが…)感じで、独身&彼女いない の私には辛い期間でありました[バッド(下向き矢印)]

とはいえ、気分だけでもクリスマスを、と思い、大阪 港区弁天町のホテル大阪ベイタワーのクリスマスケーキを買いました。

クリスマスケーキ①
クリスマスケーキ②

ホテル大阪ベイタワーの51階には大阪で一番、夜景の綺麗なレストラン“エアシップ”があるのですが、来年のクリスマスはそこで、クリスマスディナーを楽しめるように頑張ります[exclamation]

絶品!らーめん ~あまのじゃく~ [グルメ]

私が一番ハマっているらーめん店は麺屋 あまのじゃくというお店です。

奈良県内に3店舗(富雄・生駒・郡山)しかないのですが、約2年前に友人Y君と行ってから、2人揃ってハマってしまい、以来、月に1~2回のペースで食べに行っています。

あまのじゃく 正面
麺屋 あまのじゃく生駒の店舗です

とんこつみそ
この日のオーダーは“とんこつ みそ”

とんこつみそ②
同じく“とんこつ みそ” 少し上から見たものです

他に、“とんこつ しょうゆ”、“とんこつ 塩”、“あっさり 塩” がありますが、どれもまさしく絶品です[手(チョキ)]

サイドメニューは餃子のみですが、却ってそれがいいと思っています。満足度、120%[exclamation×2]

あくまでも個人的な感想なのですが、一度、是非お試しいただきたいと思います。

リベンジ? フィッシング ~和歌山 加太~ [釣り]

12月の最初の土曜日に会社の先輩と“釣り”に出かけました。当然のことですが、時期はもう12月、暖かくなってからの方がいいかとも思いましたが、「釣れなくてもいいから行こう!」ということになり、夜中の3時に奈良を出て、車で和歌山県 加太に向かいました。
加太は、9月に行った淡輪から南へ少し行った所にある和歌山県北部の港で、淡路島や遠くには神戸も見える所です。

途中、コンビニで朝飯を買い、釣り具店で餌等の買い出しをして、加太に到着したのが午前6時。車の中で朝食(おにぎりとパン)を済ませて、6時半から釣り始めました。

9月に淡輪に行った時は“坊主”に終わったので、今回こそは!と意気込んではおりました[パンチ]

当日は、12月だというのに気温が夜中でも10℃を超えるという異常な暖かさで、内心“ひょっとしたら釣れるかも”と思っていました。
ところが……、着いてみると風が非常に強く、体感温度は急激に下がる感じでした。

加太②
この防波堤で釣っていました

加太①
加太④
風の影響で波があるのがおわかりいただけるでしょうか?

普通なら、この時期に海岸に近い防波堤で釣る時は底にいる根魚を狙うべきなのでしょうが、今回も敢えて前回と同じ“さびき”で可能性は低いものの、アジを狙いました。
朝6時半から11時前くらいまで、約4時間粘りましたが、その結果は……

釣果?

釣れた、というか引っかかったのは“メバルの幼魚”のみ[もうやだ~(悲しい顔)] 勿論、リリースしました。

釣りを終えた後、早朝にコンビニで買っておいた“明星一平ちゃん 夜店の焼そば”をお湯を沸かして、寒風の中、食べました[ふらふら]しかし、バーナーで湯を沸かして、外でインスタント麺を食べるのもたまにはいいものです[わーい(嬉しい顔)]

加太③
釣っていた場所から海岸を撮った写真です。夏は海水浴場になります。

加太④
真ん中に見えているのは淡路島です

釣りを終えた後、せっかく和歌山まできたのだから、“和歌山ラーメン”を食べて帰ろう、ということになり、車でJR和歌山駅近くにある『井出商店』へ行きました。

井出商店
井出商店

和歌山ラーメン醤油とんこつなのですが、個人的には好きな系統のラーメンです。味の方は満足できるものでしたが、ハマる!とまではいきませんでした。(あくまでも個人的な感想ですのであしからず) 満足度 70% (満点は100%です)

自家製 ラーメン

持ち帰り用として売られていた袋ラーメンを買って帰り、家で作ったのが上の写真です。

今年は結局、釣果はゼロ[もうやだ~(悲しい顔)]でしたが、来年こそは大物を釣り上げます[exclamation×2]






艶やかな紅葉~永観堂~ [風景]

お楽しみは最後にとっておく…ではありませんが、最後に、紅葉の中でも有名な『永観堂』に向かいました。

話では聞いていたのですが、実際に目の当たりにすると圧巻の景色でした。もの凄い人の数でしたが、素晴らしい紅葉を十二分に満喫できました[わーい(嬉しい顔)]この景色には言葉は要りません、ということで、拙い写真ですが、載せたいと思います。

永観堂①
永観堂②
永観堂③
永観堂④
永観堂⑤
永観堂⑥
永観堂⑦
永観堂⑧
永観堂⑨
永観堂11
永観堂12
永観堂13
永観堂14
【永観堂の紅葉】

永観堂⑩
【やすらぎ観音】

永観堂15
永観堂16
【水路閣】

最後の『水路閣』は永観堂から南禅寺へ向かう途中に撮ったものです。
南禅寺へは、食事(湯豆腐)を摂るために向かったものでお寺には行きませんでした。

来年こそは、紅葉をいっしょに観にいってくれる彼女に巡り会いたいです[グッド(上向き矢印)]

敵は“本能寺”にあり [風景]

錦市場へ向かって歩いていると、ふと目に飛び込んできたのが、本能寺です。

言わずとしれた『本能寺の変』の舞台となったお寺で、天下統一を目前にした織田信長が、家臣 明智光秀の謀反により、その生涯を閉じた場所です。

信長廟
【信長廟】

合祀墓
【合祀墓】

戦没者名簿
【戦死者碑】

私は歴史が好きで、一番関心があるのは幕末期なのですが、子供の頃は戦国時代に興味を持っていました。年を重ねるにつれて、いろんな知識が入り、考え方も変わってきましたが、幼少の頃に抱いていた織田信長のイメージは “うつけもの” “荒っぽい” “怖い” といったものでしたが、実際は全く違っていたと思います。
それにしても、歴史は本当にミステリーな部分が多く、文献はたくさん残っていますが、必ずしも全て事実を記しているとは言えないところがあります。『本能寺の変』にしても、「明智光秀は何故、謀反を起こしたのか?」 「信長は何故こんなに少人数の軍勢しか連れていなかったのか?」 「本当に信長はここで自害したのか?」など、たくさんの謎があると思います。答えはおそらく、わからないのでしょうが、遥か昔の出来事に思いを馳せながら歩くのもいいものです。

公孫樹
【廟のすぐそばに聳える公孫樹】 

本能寺正面
【本能寺 正面】

本能寺の『能』の字の右側が『ヒ』を上下に並べた形ではなく、『去』に似た形になっているのは、何度も戦火にさらされたことから、“火”が去るという意味でこのようになっているそうです。

本堂は改修中で残念ながら見ることができませんでした[もうやだ~(悲しい顔)]拝観できるようになるのは結構先のようですが、その時にはまた訪れたいと思います。

余談ですが、来年2月のバンクーバー五輪のフィギィアスケートに出場する織田信成選手は織田信長から数えて17代目の子孫になるそうですが、考えてみれば400年も家系を遡れるって凄いなあ、と思うとともにご先祖様の偉大さを感じます。私は“ミーハー”なところもあるので、フィギィアスケートでは浅田真央選手に目がいってしまうと思いますが、織田選手をはじめ、日本選手の活躍を期待します。

本能寺から錦市場を経て、最後に紅葉で有名な永観堂に向かいました。その模様は次の記事にて。



東福寺、ふたたび [風景]

11月の3連休の最終日に、母を連れて京都へ出かけました。
昨年の秋に母方の祖母が104歳で亡くなったのですが、お墓参りと、祖母の実家のお墓にも報告をしておきたい、という母の希望があったので、紅葉見物も兼ねて連れていきました。

母の実家のお墓は東福寺の中にあります。私自身は以前の記事にも書いた通り、9月の末にも東福寺を訪れたのですが、その時は友人Y君と一緒だったので、お墓参りはしていませんでした。
季節的にもちょうど紅葉のピークでしたので、せっかくの機会なのでこの前来た時には見ていなかった所を含めて中の景色を楽しんできました。

即宗院の庭①
即宗院の庭②
即宗院の庭③
【即宗院の庭】

即宗院の南天
【南天の樹】

東福寺には全部で25の寺院があるのですが、今回行ったのは2ヶ所です。まずは、『即宗院』というお寺です。即宗院は薩摩藩(現 鹿児島県)ゆかりの寺で、薩摩藩の近畿における菩提所とされていました。幕末の戊申戦争の中のひとつ、『鳥羽・伏見の戦』の際には薩摩軍はここに屯所を構えており、西郷隆盛もここで指揮をとっていたそうです。

龍吟庵 南庭
【南庭】

龍吟庵 西庭①
龍吟庵 西庭②
龍吟庵 西庭③
【西庭】

龍吟庵 東庭
【東庭】

龍吟庵 開山堂
【開山堂】

続いては『龍吟庵』です。室町時代にできたもので、「書院造」と「寝殿造」の手法が融合した建築物として知られています。ここではやはり“枯山水庭園”を見ないわけにはいきません。【南庭(無の庭)】は草木が一切ない白砂敷きになっています。【西庭(龍の庭)】は龍が海中から昇天する姿を表現しています。【東庭(不離の庭)】には赤砂が敷かれています。最後の写真は【開山堂】というお堂ですが、正面には「霊光」と書いてある額がありますが、これは、室町幕府3代将軍 足利義満による筆だそうです。

東福寺の次は祖母の実家のお墓がある大津に向かいました。大津といえば滋賀県になりますが、JR京都駅からバスに乗って向かいました。銀閣寺から北白川を経由して山越えをするルートですが、お墓のある所は県境にほど近く、それほど時間はかかりませんでした。
お墓参りを終えた後、バスで三条へ戻り、食事を済ませ、久しぶりに“錦市場”に向かいましたが、その途中、あるお寺に立ち寄りました。それについては次の記事に記載します。

お土産 [お菓子]

十津川村へ行った時に“お土産”を少しばかり買って帰りました。

土産①

まずは、“奥吉野”の名産、『こんにゃく』です。吉野で作られているこんにゃくは大変美味しく、奥吉野へ行く機会がある度に買っています。お土産として買う写真のようなこんにゃくも美味しいのですが、何と言っても、オススメなのは、道の駅 『吉野路黒滝』のこんにゃくです。
そこでは、近所の農家のおばちゃんたちがこんにゃくを炊いて売っています。朝早くから仕込みを始めて、7時くらいには大鍋の中においしそうなこんにゃくがごろごろとしています。一切れ100円という値段もグッド!!割り箸に突き刺してあるのですが、出汁がじっくり染み込んでいるうえにピリッと唐辛子が効かせてあり、味の方もグッド!!是非、一度試していただきたいオススメの一品です。

土産③

お次は吉野土産の定番、『葛きり』です。良質の葛粉を作るには澄んだ冷たい水と乾燥した空気が不可欠なのですが、その両方を満たす所のひとつとして奈良県の吉野があり、昔から本葛の生産が盛んな所です。
今の季節、家では頻繁に鍋をするのですが、その食材として“葛きり”は欠かせません。鍋の食材の中では一番と言っていいくらいの大好物で、これも、機会がある度に買って帰っています。

土産②

次は土産物店でついつい目が行って買ってしまった“葛もち”です。

葛餅

黒蜜がかかっていますが、ヘルシーなうえに美味しいお菓子です[わーい(嬉しい顔)]

じゃばらドリンク

最後は“じゃばらドリンク”です。これは、前の記事に載せた『和歌山県 北山村』で買ったものです。“じゃばら”は柚子やカボス、ダイダイのような高酸柑橘類のひとつで、北山村でしか生産されていないそうです。果汁が豊富で、柚子やスダチとは違い、まろやかな風味が特徴です。名前の由来は「邪(気)を払う」からきているそうで、花粉症に大変効果があるとのことです。私も、数年前から毎年3月から4月にかけての時期に花粉症に悩ませれているので、本当に効くかどうか試してみようと思います。

亡き友人を偲んで ~十津川村紀行~ その4 [旅]

お墓参りを終えて、朝から来た道をそのまま戻る感じで、2度目の休憩で立ち寄った、和歌山県北山村の『おくとろ公園』に再び立ち寄りました。この公園内に『おくとろ温泉 きたやま』という温泉があったので、運転の疲れを癒すべく、入りました。
おくとろ温泉 成分表「おくとろ温泉」成分表

それほど広くはないのですが、私たちが入った時には誰もいなくてまさしく『貸切』状態でした[わーい(嬉しい顔)]露天風呂もあり、しばらく湯に浸りながら空を眺めていると、鷲か鷹のような鳥が羽を大きく広げてゆっくりと旋回している様子が見えました。時間がゆっくり流れる感覚で、運転の疲れも癒せると同時に“生命の洗濯”をした気分になりました。
『おくとろ温泉』の泉質と効能は上の写真に出ている通りですが、見にくいと思うので簡単に記しておきます。
泉質 : 硫黄泉
効能 : 神経痛、冷え性、慢性皮膚病、慢性消化器病、五十肩、打ち身、糖尿病、美肌作用

温泉で疲れを癒した後は、同じく『おくとろ公園内』で昼食を摂りました。
美熊野牛 ハンバーグ定食
“美熊野牛”ハンバーグ定食

地元で飼育されている“美熊野牛”という牛の肉を使った特製ハンバーグ定食を注文しました。ダイエット中なので、本来はもっとヘルシーなものを食べるべきなのですが、少し気が緩んでしまいました。
ごはんのおかわりは自由(もちろん私はしていません)で、お得感のある店でした。味も美味しかったです[わーい(嬉しい顔)]

腹ごしらえを済ませた後はゆっくり、景色を楽しみながら山を下りました。
飛び地の村 標識
【“飛び地”の村の標識】

雷の滝①
雷の滝②
【雷(いかづち)の滝】

七色ダム①
七色ダム②
【七色ダム】

ダム湖
【七色ダム湖】

山奥の紅葉①
山奥の紅葉②
【山の紅葉】

相変わらず、写真の腕が悪くて、景色の素晴らしさを伝えることができていないのですが、実際に見た景色は本当に素晴らしかったです。来年もまた、友人に会いに行くとともに、新たな素晴らしい景色を探してみたいと思います。

亡き友人を偲んで ~十津川村紀行~ その3 [旅]

『北山村観光センター』を出発し、そこから約20分程度で目的地である、亡き友人の実家に到着しました。

真っ先にお墓に向かい、持参した花を飾り、線香とロウソクに灯を点けて、ロウソクが燃え尽きるまでのしばしの間、ご冥福を祈り、一緒に来た友人Y君と思い出話をしていました。
その時2人で、「ふと気付くと自分たちも30代半ばを過ぎ、いつ何があっても不思議じゃない。だから、生きていることを当たり前だと思わずに、生かされている今の人生をもっと大事にしないといけないなあ」というようなことを話していました。もちろん、まだまだ若いつもりでいるのですが、出会った頃から20年が経ち、お互いに年を重ね、20代の頃とは考え方も変わってきています。とてもショッキングで残念な事ではありましたが、友人の突然の死は、自分たちに人生について考える機会を与えてくれたのだと思わずにはいられませんでした。

お参りしている途中で友人Y君が、昨年来た時とお墓の様子が違っていることに気がつきました。僕たちがお参りしている時に、偶然、近所の方が同じくお墓参りに来られていたので、声をかけて尋ねてみたところ、亡き友人のおとうさんが、この夏に亡くなられた、と教えられました。昨年、お参りにきた時にはご健在でお話もさせていただいたので、全くそのような事は想像だにしていませんでした。
なんとも言えない気持ちの中、お墓のすぐ近くにある友人の実家に向かい、おかあさんにお会いしてきました。当然のことながら、昨年お会いした時よりも、お疲れの様子であるのが一目でわかりました。仏壇にお参りさせていただき、少しだけお話をしたのですが、寂しさは隠せないご様子でした。

僕の場合は、幸いなことに、今のところ、両親も元気で、何不自由のない生活を送っていますが、いつ、何が起こるかわかりません。親が突然倒れることも、年齢から考えれば十分に考えられます。今の自分の環境を当たり前だと思わずに、今を悔いのないように精一杯生きなければいけない、と思うとともに、親を大事にしなければならないと改めて思いました。

今回の記事のラストとして、亡き友人が子供の頃から親しんでいたであろう、実家付近の風景を少しだけ載せておきたいと思います。本当に自然に囲まれた素晴らしいところです。

十津川村①
正面から陽が昇るのですばらしい眺望です
十津川村②
近くを流れる川は勢いが強く、声もかき消されるくらいの音がしています

次回、その4(このシリーズ最後)は秋深まった山奥を満喫した様子を書きます。

亡き友人を偲んで ~十津川村紀行~ その2 [旅]

上北山温泉を出発して、友人が眠る十津川村へ向けて走りました。ここまで山奥に入ると、さすがに道幅は狭くなり、対向車がくれば、退避所で待ってすれ違わなければならず、また、切り立った崖が聳える道が続き、落石でもあれば、『ジ・エンド』だなあと思いながら運転していました。

多少、ひやひやしながらも、自然の景色を楽しみながら車を走らせ、目的地である十津川村の手前で、2度目の休憩を取りました。止まった所は『北山村』の観光センターです。

北山村観光センター
北山村観光センター

『北山村』は「奈良県」ではなく、「和歌山県」の村です。奈良県内から同じ奈良県内に向かうのに、なぜ、途中で和歌山県を通るの?と思われるでしょう。その理由はこの『北山村』が“飛び地”だからです。

『北山村』は和歌山県で唯一の村です。和歌山県に属しながら、周囲を奈良県と三重県に囲まれていて、市町村単位の飛び地がそのまま領域になっている、日本で唯一の自治体です。
古の時代から、この北山村辺りでは、木材を切り出し、筏で北山川に流し、下流の新宮(和歌山県)で商人がそれを受け取る形態で人々の暮らしが成り立っていたいたそうです。その関係で新宮との関係が強く、江戸時代は紀州藩新宮領に属していたしうで、明治初期の廃藩置県で新宮が和歌山県になると、北山村は新宮との結びつきの強さゆえに和歌山県に入ることを望み、それが叶った結果、飛び地の村が誕生し、現在に至っています。

北山村観光センター②
観光センターから見た風景 見えている川は北山川です

北山村観光センター③
筏での川下りも有名です

後ほど、この観光センターには寄ることになるのですが、それはまた次回以降に書くことにして、2度目の休憩を終えて、ここからあと少しの所にある亡き友人のお墓がある自宅へ向かいました。
次回、その3 はお墓参りのことを書きます。

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